プラレールで遊ぶ息子はいつまでも続くとは限らない。1日1日が儚く、とても大切であるということ

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毎日子どもと一緒に過ごす日々。母親の想いをつづってみました。

母親になって気付いたことですが、日々様々なことを感じ、経験しているのに、アウトプットする機会がとても少ないのです。

主に家事と子育てしかしていない専業主婦なので、人と会う機会も少なく、近くに頼れる親・親戚、友人・知人がいないことも原因です。

日々感じたこと、学んだこと、悩んでいることが吐き出されることなくどんどん溜まって、頭の中がもやもやしてきます。

もやもやが整理されないまま成長も見えず、毎日同じことの繰り返しのように感じて、自分は何のために頑張っているんだろう、と心が折れてしまうこともありました。

この悪循環を何とか解消したくて、そうだ、思っていることを言葉にしてみよう、と思い立ち、このようなタイトルで書き始めています。

つい子供の言うことをきいてしまうのは母親の宿命なのかも

母親になってまだ3年半ほどの新米母である私が言っても説得力に欠けるかもしれませんが、私なりに思ったことを書いてみますね。

母親って、子どもの「〜が食べたい」「〜がしたい」「〜が欲しい」という全ての要求に対して「NO」と言えない回路が組み込まれているんじゃないかな、と思う時があります。

もちろん要求全てを叶えられるわけではありません。
聞いた瞬間に「えっ!この忙しい時に何言ってるの!無理、無理!」と思うこともあります。

しかし次の瞬間には「どうやったら叶えてあげられるだろう」と考えている自分がいるのです。

一種の条件反射でしょうか。要求を満たしてあげなければ、と思ってしまうのです。たとえ無理難題であろうとも。

推測ですが、赤ちゃんの時からずっと、自分のやりたいことを捨ててでも、赤ちゃんの要求を満たすためにかけつけるというお世話を繰り返した結果、以下のような「要求」→「YES」のサイクルができあがったのではないかと思います。

  • お腹が空いた
  • オムツを変えてほしい
  • 寂しいから構ってほしい
  • 眠いけど一人じゃ寝れないから抱っこしてほしい

それが、子どもが3歳半になった今でも続いているのです。

そして子どもの要求が満たされると、達成感や安堵感を感じます。

これは母親の宿命なのでしょうか。

プラレールで遊べるのも今だけかもしれない

うちの息子の場合はプラレールで遊びたい、という要求が常にあるようです。

でも、卒業の時がいつ来るかはわかりません。
小学生になったらテレビゲームに夢中になって、電車が大好きだったことなんて忘れているかもしれません。

もしかしたらずっとプラレールも電車も大好きで、大人になったら鉄道マニアになっているかもですが・・・。

とはいえ、明日には「大好きなもの」が「電車」から「〇〇ジャー」に変わっているかもしれません。未来のことは誰にもわからないんですよね。

だとしたら、今このプラレールで夢中で遊んでいるこの時を、もっと大切にしてあげたいと思います。

電車を見たいという気持ちを、電車で遊びたいという気持ちを壊さないであげたい。とても儚いものだからです。

過去の動画を見て気付いた過ぎ去った日々は帰ってこない

息子が2歳ぐらいの時に何気なく撮った動画を見返していた時のこと。

もともと声の低めな息子ですが、今より格段に高い声。
あどけない表情にかたことの言葉、そして無邪気な笑顔。こんなに可愛い時期があったなんて。

いいえ、今の3歳半の息子だって、大きくなった時に振り返ったら同じことが言えるはずです。

小・中学生になって、いつか大人になってしまった頃には、もう一度会いたくても会えない、抱っこしたくてもさせてもらえないのです。

何気ない日常の会話、表情、しぐさは、大きくなってしまったら写真や動画でしか見ることができない、という当たり前の事実が胸に突き刺さりました。

だんだん生意気になってきた息子の言葉や態度にイライラしたり、息子に「お母さん怒らないで。笑ってる顔して。」と言われたり。

もっと余裕を持った母になりたい。いつも笑顔の母でありたい。
急に笑顔は難しくても、せめて気持ちだけは穏やかでありたい。

息子とたくさん遊んであげよう。
楽しい思い出をたくさん作ってあげよう。
家族が揃っている時は、いつもみんな笑顔で楽しかった、という記憶を残してあげよう。

そのような想いを持たずにはいられませんでした。

想いを言葉にすることでの気付き

先日たまたま母の口から、母の想いと父の想いを聞く機会がありました。

話を聞いている時、ふと、あぁ父は必死に働いて、母は必死に子育てしてくれていたんだなぁ、としみじみ。

そのおかげで今の私があり、家族を持たせてもらえて、私もまた子育てを経験させてもらえています。

恥ずかしいことに、自分が母親になって初めて、母の苦労が少しだけわかるようになりました。

まだまだ新米の私ですが、母がしてくれたように主人と子どもに愛情を注ぎ、主人と子どもの幸せを願い、幸せな家庭を築いていきたいと思いました。

そして自分の想いも言葉にして残しておきたい、という気持ちがふつふつと湧いてきたというわけです。

あたりまえではない

家族がみんな元気で笑顔でいられること。
みんなで温かいご飯が食べられること。
みんなで安心して眠れること。
自分が当たり前だと思っていたことは、決して当たり前ではなかったのです。

そのことを忘れなければ、いつも感謝の気持ちが持てるはず。
いつも笑顔でいられるはず。

毎日の生活に感謝の気持ちを持って、日々穏やかな気持ちでありたいという願いを込めて、言葉に残します。自分への戒めも込めて。

いつも優しい顔のお母さんであれますように。